一味会は、土屋観道の主唱する真生同盟の運動に携わっていた中野善英(号、剋子)によって、大正15年初頭に創始された運動で、その目的は、天地大宇宙のいのちの根源(阿弥陀如来)に向かって帰依、畏敬し、それを宗教即生活に高め、人間生活をその使命遂行のために生かし、社会発展に寄与する霊的存在として行くことである。その実践行としては、念仏を中心に据え、特に念仏の称え方には、独自性がいろ濃くあらわれている。
大正10年、土屋観道が神田駿河台に説教所「光明会館」を設立すると、その運動思想に共鳴した中野は、会館に居住し、毎週開かれる定例講演会、座談会の運営と土屋の留守番にあたった。土屋が全国に布教するあいだは、中野が講演会、座談会を行うかたわら、エスペラント学校、愛の園、自由倶楽部(宗教図書館)を開設した。翌年2月、同運動の月刊機関紙『真生』創刊に際しては奔走し、編集並びに後記、発送を大野顕道とともに担当した。
一味会の創設
このように真生同盟の活動を担うとともに、さらに伝道の熱意の止まぬ中野は、大正14年11月、愛知県津島の西光寺を本部道場として、一味会を創設し、月刊機関誌『一味』を創刊した。ここに40年以上にもおよぶ、真生同盟と二重構造を持った独自性の強い一味会の求道と、伝道の活動が開始された。中野の活動は、津島に帰るのは月2回ほどで、全国の各宗各派寺院や個人宅、工場などでの超人的布教活動をつづけた。さらに、各地の拠点寺院で別時念仏道場を開設し、「念仏廻状」という各地信者の組織化を図ったり、掲示伝道、カレンダー、手書葉書や善英自作の法語とカットの人った葉書の領布といった文書伝道や教えを簡潔に表した図表を大量に作成するなど、実にアイデア豊かなさまざまな伝道の形式を考案し、独自の伝道を展開していった。
昭和41年4月、中野は68歳で正念往生を遂げたが、西化の1年前に書かれた「告別之辞」のひとつには、「会いたくばナムアミダ仏と称ふべし、私がアナタあなたが私」とある。一味会の会員資格は、機関誌『一味』の講読者をもって会員としている。戦前の最盛期には、平常時1万部、正月号は3万部の発行を記録している。
一味会の実践活動は、昭和4年から始められた。津島本部道場で毎年1度4月3日間にわたる全国大会(津島大会)がある。現在では13~15日に行われ、大会後に参加者は手印をおしているが、初期は血判を押していたという。その他比叡山飯室谷で行われる念仏行は、同14年10月から始められた。現在は秋彼岸に3日間行われる。このほかに徹宵念仏の中秋大会(初期は、決死道場)、毎月第1土曜、日曜日の月例念仏会、正月元旦~4日の新春の集いがある、中野は、以上の他に大阪、名古屋、唐沢山での念仏道場や三大決死道場といわれる山の念仏が九久山・二の宮・播隆山で行われている。この他、個人的なものとしては、全国各地の信者宅で毎朝同時に集まって行う朝参り念仏会(旧名、回願同行会、次いで大願大行会と改称)が行われている。
中野善英の宗教思想
中野にとって阿弥陀仏信仰は、死後の極楽往生のためでも、追善供養のためでもない。「宗教のなかから常に、個人が目醒め、家庭、国家、社会が、正しい方向へ進んでいく実績が出て来なければ」ならない。こうした宗教観の中から生まれたのが、中野の唱導する「一味」の教えで、「一味哲学」とも呼ばれる。中野の西化後に編纂された『宗教図鑑一味哲学体系』によれば、一味とは、「天地は一心一体一生命一活動なり、これを神と云い仏と云う、又道と謂い教えと言う」という本態論(一味)に始まり、現象論(二道)、宗教論(三誓)、さらに信念論、実践論へと展開する、極めて精緻で独創性の強い教義体系である。それは、換言すれば、大地大宇宙のいのちの根源に対して帰依畏敬し、それを宗教即生活に高め、社会発展に寄与する生活を実行することである。これを具体的な「信仰の七ッの命題」として、中野は、「現実生活の物心両面で良くなりたいという目的で(なぜ信ずるか〉、仏を(何を信ずるか)、今(何時)、ココで(何処)、白分が(誰が)、往相の念仏を称えることによって(如何に)、還相の念仏という如来中心の現実生活となる(結果はどうなる)。」と、念仏を中心とした信仰生活のありようを説き、現実生活での実践を主張した。
この一味という宗教理念の実践は、念仏に具体化された。中野の独創牲はここにも発揮されている。中野は、念仏の称え方を正調念仏と大念仏とに分け、それぞれ理想的な時間と回数を規定した。正調念仏は、禅と静坐を坐相の基礎とし、1分間に60遍の念仏を称えるのを正調とする。1分間を20秒ずつ3部に区切り、それぞれについて20遍の念仏を称える。20秒は、1念仏を1秒に称え17回連続し、その間息を吐き続ける。残りの3秒間は息を吸いながら無声念仏を3遍、木魚は打ち続ける。こうして無声有声含わせて60遍の念仏を称え続ける。
大念仏
一方大念仏は、浄土宗の「(念仏を)ただ申せ、申すだけで救われる」との言葉をさらに深く追求し、その称え方を工夫検討してしたものである。昭和10年来検討を重ねたもので、16年の比叡山の飯室道場の結衆を記念して発表された。これは、弾誓念仏を基本とし、徳本流、河崎念仏、光明会念仏を調和し、禅と静坐を基礎として、呼吸と脈拍とを基とした発声法によって、大音声を発し、全身が一体となり、天地の大生命活動に貫通して心身の大調和を招来する念仏である。善英は遷化の直前、正調念仏と大念仏を組み合わせた「一味道大念仏」を別時会以外の通常の例会でも行うことを提唱した。