翌朝、黄さんの自家用車(ホンダ車です)で、台中市内にある太虚紀念館(太虚=革命法師)で開催されている慕西念仏会を訪問しました。財団法人菩提仁愛之家が経営する新菩提医院という総合病院の敷地内に、寺院である太虚紀念館や、中国から念仏を伝えた印光法師の記念館、慈光図書館などが併設されています。
(印光法師は、中国から文化大革命を逃れて念仏を伝えた僧侶で、初代廬山寺慧遠、2代善導大師から数え、13代目。直弟子の在家信者李炳南居士が創立者である台中仏教蓮社が財団法人菩提仁愛之家の母体)
車から降りる私達を、張武銘社長はじめ役員方が出迎えてくださいました。正面入り口には赤の横断幕が掲げられています。
病院で亡くなられた方は寺に運ばれ、8時間の念仏を皆で称え続けるといいます。印光法師の記念館を特別に拝観させていただき、慕西念仏会の方々が念仏を称える本堂に入堂。最前列に座りしばらく一緒に念仏をお称えしました。ご本尊の右側には「今生堂」と書かれ赤い札が無数に下がっています。信者の方々のお名前が書かれ、今生のご加護を祈念します。左側は「往生堂」と書かれ金色の札が下がっています。お隠れになられた方の極楽での仏果増進を祈願します。
法要後、40〜50人ほどお集まりの信者の皆様に挨拶させていただき、善導大師、法然上人、現当二世の念仏利益について法話をさせていただきました。皆様から大きな花束、記念品、仏具を頂き、私共から「感謝状」とお土産をお渡ししました。24時間不断念仏会に2011年からご参加くださり、毎回、東日本大震災物故者霊位の念仏回向をしてくださっています。
黃さんのご両親は、15年ほど前から資金を提供して、月曜から金曜まで週五日、10時から4時までの不断念仏を勧めていらっしゃいます。在家でありながら、念仏の行者であり庇護者でもいらっしゃるのでした。西浦さんの弟さん夫妻、ご友人蔡さん親子、その他たくさんの方がいらしてくださいました。
最後に皆さんと記念写真を取り、不断念仏会での再会を約束してお別れしました。
午後は、印光法師の弟子で在家の信者雪盧老人(=李炳南居士)を顕彰し、仏教儒教教育の学園を経営する信者団体の台中市仏教蓮社を訪れました。先ほど太虚紀念館で出迎えてくださった張さんは仏教蓮社の社長をおつとめで、黄さんのご両親も駆けつけ、再び私達を出迎え歓待してくださいました。
応接間で「なにか法話を」とリクエストされたので、黄さんのご両親のご尊顔はまさに光顔巍巍、光り輝いて拝されることにふれ、釈尊同様に念仏の功徳が現れた証拠であるとお話ししました。
その後、雪盧紀念館をじっくり見せて頂き、時間の関係で霊巌山寺の参拝はキャンセルしホテルに戻りました。途中、黄さんのご実家によらせて頂き、仏間で念仏回向。ご両親も丁度お戻りになり、思いがけなく、敬虔な念仏者ご夫妻、黄さん、西浦さん、張さん、山岡さんとありがたい念仏を申す事ができました。
ホテルに戻ってからだいぶ遅い時間でしたが、黄さんの車でドライブ。張さんの住まいのマンションや、西浦さんの生まれ故郷の沙鹿の近くを通りました。